アンダルシアを流れるグワダルキビール川は、肥沃な大地の色がそのまま溶け込んだ濁流である。この川の流れる広大な谷間にコルドバはあり、ヨーロッパの主要都市の例にもれず古くからローマの植民市として栄えていた。711年、北アフリカからジブラルタル海峡を渡り侵入したわずか1万を満たないイスラム軍は、ローマの後にこの地を支配していた西ゴート王国を軽々と打ち破る。その後まもなく、アッパーズ朝とのカリフ争いに敗れダマスカスを追われたウマイヤ朝の流れを引くアブドールラフマン1世は、この地に亡命することになる。そしてコルドバを都に定め、イベリア半島のイスラム支配が始まる。その後の300年間、イスラム国家は独自の発展を遂げ、コルドバは最盛期の人口が50万ともいわれ、東のコンスタンティノープル、北アフリカのバクダットと並び、世界の中心的な都市として隆盛を極めた。10世紀には大学も創設され、カソリックの教徒も学ぶほどの高い学問レベルを誇ったと言う。ギリシャ哲学、医学をはじめ多くの文献が翻訳されヨーロッパ各地へ拡がっていったのである。(17世紀には、伊達政宗の遣欧使節として支倉常長もこの地を訪れている。)しかし、その後の部族同士の対立により衰え、ついに1236年には国土回復運動を進めるカソリック教徒の手に落ちる。かつての栄華は、今は見るすべもない。現在、人口30万の街にはグワダルキビール河畔にたたずむメスキータと共に静かな時間が流れている。
┃ コルドバ CORDOBA
┃ いにしえのイスラムの都
┃ メスキータ La Mezquita de Cordoba
┃ 栄華の面影
かつて600ものモスクを有したとされる世界都市の往時の姿を今に伝える建物がメスキータである。メスキータ(Mezquita)は「モスク」−(ひざまずく場所)ムスリム(回教徒)の礼拝堂の意味で、スペインに現存する唯一の大モスクである。アブドールラフマン1世は、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国時代には聖ヴィアンテ教会があった神聖な場所であった。王はここにかつての都ダマスカスのモスクを懐かしみ、アッバーズ朝の新首都バクダットのモスクをも凌駕する大モスクを夢見た。
┃ 三つの構成要素
メスキータは大きく3つの構成要素からなる。アミナール(Aminar)と呼ばれる回教寺院の「塔」と、現在はオレンジのパティオ(Patio)と呼ばれ、礼拝者が体を清めるための沐浴を行う清めの「庭」。そして無数の柱が森のように広がる祈りの場「礼拝の間」である。礼拝の間にはキブリ壁muro
Kibli)といわれるメッカのカーバ(Kabah)神殿の方向を指し示す壁が正面にあり、目印となるミフラーブ(Mihrab)と呼ばれる小さな窪みが設けられている。
┃ 時を刻む拡張
歴代の王は、人口の増加と共にメスキータの拡張を図っていった。外壁を壊し、多柱の空間を水平に拡張することによって・・・。その変遷は、もともと外壁としていた壁柱の配置から今日も伺える。最終的に、外周は約175m×135mの広がりとなり2万5千人もの回教徒を収容する規模まで達した。各時代の拡張の中で、特筆すべきはアルハキム二世の時代の密度の高い拡張(961年〜968年)であろう。この時代、王はカリフを自称し、イベリア半島のイスラム国家は、政治、宗教の両面で独立を遂げた。その権力の象徴として現存するミフラーブと共に王が礼拝するマクスーラ(貴賓席)が設けられたのである。マクスーラ上部の明かり取りのためのキューポラ(cupula:天蓋)は正方形に組まれたリブ状のアーチを45度の角度で回転複写させた星型の架構となっている。この重いキューポラを支える交差する多弁型(多くのアーチが集合した形態)のアーチは全体を支配する同一の柱間の統制の中にあって、豊かな装飾性を生み出している。このマクスーラ部分は無論、他の柱間の平天井部分においても松の板に幾何学模様の彫刻が施され、幾何学的なミクロコスモスは精緻を極めている。メスキータ全体を統制する建物の幾何学は、各時代ともラサッシ(rassasi)と呼ばれる47.5cmのモデュールに基づいて行われ、このモデュールが最後にカソリック寺院として改修されるまで守られてゆく。
┃ 祈りの空間-多柱空間の意味
モスクは、イスラムの教義「すべての人は神の前で平等である」にもとづき、聖地メッカのカーバ神殿の方向に一人一人が祈りをささげる場所である。礼拝の間はこの教義をそのまま形にしたといえる。多数の柱によって支えられた空間は、無限に連続してゆく祈りのための均質な広がりとなっている。全体として強い求心性を持たない水平の広がりは、メスキータの特徴となっている。空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである。これは、全体の均一な空間にあって、個々は統一されず、多様な相があるままで良いとする、おおらかで奥深い美意識の顕れといえるのではないだろうか。結果として高さ、太さを抑えられた人間的な尺度の円柱が連続することとなった。この転用されたために寸足らずとなった円柱の上部に10m程度の高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。メリダにあるローマの水道橋を参考にしたとされるこの2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっており、独特のリズムを持つ2重アーチが幻想のように折り重なり連続してゆく様はメスキータを唯一無二の存在としている。
┃ 様式の混血
礼拝の間における円柱の様式の多様性にとどまらず、随所に様式の混在が認められる。メスキータのアーチの特徴は、馬蹄形(馬のひづめに似ている半円よりさらに下まで曲線が伸びた形のアーチ)であるが、このアーチは、西ゴートの建築様式が起源であることがわかっている。イベリア半島におけるイスラム建築に多用されており、効果的に意匠に取り入れることによって自らのものに昇華している。また、ミフラブ周辺にはビザンチン様式の精緻な金のモザイク、内部の天井にはローマ時代の装飾のモチーフである帆立貝が彫られている。これは、コンスタンティノープルからきたキリスト教徒の職人集団の手による。このように、さまざまな民族が入れ替わり立ち代り混在し、純血なものだけで構成されえない現実の中で、創造は混血からはじまり、これを新たに統合してゆこうという意識の現われが随所に見られる。いわゆる西洋が規範とした建築する意思-ギリシャのパルテノン神殿に見られるロゴスが支配する世界-とは一線を画した造形感覚をいえる。イスラム風数寄の精神とでもいおうか・・・?これらのディテールの奔放さを許容してなを建築たらしめるものは、過剰ともいえる幾何学に依存した造形の無限ともいえる繰り返しとそれによって浮かび上がる光と影の演出なのではないだろうか。
┃ 異なるメッカの方向
メッカはコルドバからは南東45度の方向であるが、建物は南から17度程度の東よりに向いており、指し示す方角が異なっている。これは西ゴート王国の教会の基礎をそのまま転用したことに起因する。理論よりも現実の状況を見極める知性の顕れか・・・。そこには神に対する狂信的な態度は感じられない。
┃ 外部に対して閉じる。
内部に対して開く
メスキータ周囲は、10m程度の高い塀で囲われ、あたかも信仰の砦のようである。外部に対して一度堅固な壁で囲い、内部に対して開く空間の形式は、イスラム建築の常套手段といえる。オレンジのパティオは、周囲を壁-最終的には回廊となる-で囲まれた内部化された外部空間である。沐浴の場、オレンジの並木は礼拝の間の柱がそのまま連続して外部につながってゆくように柱の延長上に規則的に配されている。かつては、ナツメヤシ、月桂樹の並木であった。樹の周囲に円形に掘られた溝が規則的に並び、各列でつなげられた潅水のための水路は、この外部空間に幾何学的秩序をもたらしている。カソリックの教会として転用される以前は、このパティオと礼拝堂の間の壁はふさがれておらず、19の開口によりお互いの空間は連続するものであった。イスラムにおいては感覚は罪の扉。ここで信者は、水によって五感を清め、流れるように礼拝の間へ進んでいったのである。礼拝の間の床は、当初は漆喰であった。パティオからの光がこの床を反射して礼拝の間は穏やかな光から闇へのグラデーションを描いていたと思われる。それは、日本の土間のような内外つながる空間のしつらえを想像させる。今日では大理石が敷き詰められている。
┃ イスラムの終焉
1236年フェルデナンド3世によりコルドバが征服されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始める。16世紀に入り、内部には大聖堂が建設されることによってメスキータは大きな転機を迎える。求心的なカソリックの祈りの空間-人間的なスケールを超えた大きな架構-がこの空間に挿入される。配置は既存の壁柱を控え柱として利用する合理化などにより、地となる多柱空間に対して、カソリック寺院が焦点となる図としてうまく納まっているようにも見える。しかし、実際にそこへ歩みを進めると、オレンジのパティオからミフラーブへ連続する秩序は、全く異なる造形物ににより断絶され大きく乱されてしまった印象を受ける。・・・。ともあれ祈りの場として生み出されたメスキータが今日に至るまで、カソリック教徒の信仰の場として新たな生を与えられている事実は動かせない。徹底して連続する柱空間が、あらゆる変更に対応しやすい性格を持ちえたこと、それが、今でもすべてを失わず、往時の姿を想像できるものとして残っていること。メスキータを建てた巨匠たちは静かにこう言うかもしれない。「すべては自分たちの生み出した世界の中での出来事である」と。
PHOTO:AGUSTIN NUNEZ
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